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発足までの経過


NPO法人「アートスペースIPPOの会」がどのようにして誕生したのか。
それは今から15年前にさかのぼります。

尼崎で中学校の教師をしていた曽我部教子先生という方がおられました。
曽我部先生は理科の教師として、どの子にもわかりやすい授業をと校内暴力が
吹き荒れていた中、子どもたちのすさんだ心を立ち直らせようと体当たりで
精一杯の愛情をこめて教育実践をされていました。

そんな曽我部先生の姿は子どもたちの心にずっと残りました。

その曽我部先生がアフリカで気球の落下事故にあい、頚椎損傷という瀕死の重傷を負い、
首から下が完全麻痺という状態になりました。
しかし、先生は再び教壇に立ちたい、地域で暮らしたいという強い願いをもちました。
曽我部先生の教え子や父母、そして教師仲間が支援の手をさしのべました。

その中に太陽の子保育園の福元先生や杉の子保育園の橋川先生がいました。
支援の輪はどんどん広がり、曽我部先生の必死の努力ともあいまって
小田地域の長洲というところで住居を構え、地域での生活が実現しました。

そして、再び教壇にという願いも実現し、先生の体力や状況にあわせて授業も実現しました。
極端に衰弱していく体力に挑戦し、気力を振り絞って命を燃やし続けた先生の姿は
テレビにも取り上げられ、自ら本も出版されました。

しかし、先生は平成15年7月、燃え尽きるようになくなられたのです。


曽我部先生は遺言として太陽の子保育園の福元先生に遺産の一部を遺されました。
曽我部先生から託された遺産を福元先生は曽我部基金として、
すべての子どもたちに思いを寄せていた先生の遺志を実現するため、
IPPOをたちあげることにしました。

そして、太陽の子保育園分室で、曽我部先生の教え子であり、京都で子ども、障害児・者の
アート教室などを主宰している漆作家の福元恵海さんを講師として
「アートスペースIPPO」が誕生しました。

その後、平成17年5月には杉の子保育園でも「IPPO」が誕生しました。
また、太陽の子分室では勉強の会も始まり、すでに地域に開放していた絵本文庫とあわせて、子どもたちが生き生きと活動する場となっていきました。

by art-space-ippo | 2007-03-25 00:40 | IPPOの誕生  

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